映画・テレビ

接吻

2009年3月7日

昨日の夜、接吻というDVDを見た。以前に小池栄子がこの映画で賞を取ったのをテレビで見たからなのと、小池栄子の役が彼女にぴったりだと思ったからだ。

ストリーは幸せな家族3人を金槌で殺害する豊川悦司の逮捕の瞬間をテレビで見た小池栄子が、豊川悦司にのめり込んでいく。似たもの同士で殺害するに至った気持ちなどを共有しあいながら、獄中結婚をする。ずーっと仕切り板のある部屋で面会をしていたが、拘置所長の許可の元、1つの部屋で会うことを許されるが・・・。

何も楽しみもなく、感情のなさそうな小池栄子が豊川悦司をテレビで見た瞬間から、変わり始める。そして静かに自分の気持ちを手紙にしたため、豊川悦司に送る。怖いくらいに自然でぴったりな役である。

豊川悦司と結婚し、判決が死刑と決まったあと、小池栄子は1つの部屋で会うことを許され、それに同行する弁護士の仲村トオル。仲村トオルは豊川悦司の弁護をしているが、豊川悦司に心を寄せていく小池栄子を心配していたが、やがてそれは愛に変わっていく。今まで何も楽しみもなく、感情のなさそうな、でもそんなことはないのに周囲から決め付けられ1人ぽっちで生きてきた小池栄子が、豊川悦司が死刑になったら、また1人になってしまう。それを恐れて死刑になろうと、豊川悦司を刃物で殺害する。そして仲村トオルにも襲い掛かるが刃物が当たらず、なぜか接吻をする。その意味がわからないという顔をしてされるままになっている仲村トオル。私にも意味がわからない。そして捕らえらる。

接吻が大きな意味を持っているから題名にしたんだろうに、仲村トオルに接吻をする意味がわからない。残念だ。きっとずーっと考えるんだろうと思う。

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YASUKUNIを見ました

2008年6月28日
夜6時から板東町駅にあるジャック&ベティという映画館で、上映が相次いで中止になっていると話題のYASUKUNIを見てきました。
靖国問題について考えさせられる映画でした。靖国問題って考えもしなかったけど、複雑なのですね。
靖国神社のご神体が246万6千余の軍人の魂が移された刀だとは知りませんでした。また日本統治下の台湾で結成された台湾原住民からなる軍隊の魂を靖国神社から取り戻すべく、何度も靖国神社を訪れる人のこと。それから国策によって駆出されて理不尽な死を余儀なくされた方の遺族が、その怒りや恨みや悲しみを国にぶつけたくても、国は勲章を与え褒め称え、名誉な戦死だという。そのことによって遺族としての思いは行き場を失う。国の戦争責任は問われない、遺族たちに文句を言わせない機能を果たしていると話す僧侶のこと。そのほかにも様々な思いが靖国神社にはあるのだということを改めて知りました。
ある人にとっては靖国神社は心の拠り所であり、ある人にとっては惨い場所なのだということを知りました。
臭くなりそうなものには蓋をする国策は、戦後60年経った今でも変わらないのだから、これからも変わらないのだろう。
天皇には戦争責任はないのか、という質問を父親にしたことがあったが、父親は「天皇も苦しんだんだ」と言っていました。真実はわかりません。
この映画は靖国についての少しの真実を知る上で、日本人が是非見ておかなくてはならない映画であると思いました。

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魔法にかけられて

2008年3月21日

「魔法にかけられて」を見に行きました。2ヶ月くらい前からこの映画に関する情報があって、おもしろそうだから見たいな、と思っていました。先週から公開だったから見に行ったのに、金曜日のレイトショーだからかしら、お客さんは20人くらい。とてもさびしく感じました。まぁこの近所の映画館が込んでるのなんて「踊る大走査線」くらいしか見たことがないのだけれど。よく営業してるな、と勝手に思っているのだけど、近頃近所に2つも映画館ができたんです。やっぱり時間帯の問題かしら?レイトショーしか利用しないんだもの。

映画の内容は予告編を見てたら最後がわかってしまう、裏切らないシンプルなストーリー。アニメの中で結婚する相手と真実のキスを交わすことを願うシーザーが、相手である王子と結婚式をするためお城に着いたとき、王女に噴水から突き落とされアニメの中から現代に来てしまい、そこでとある男性と出会い恋に落ちるというストーリー。男性の部屋で歌いながら(ミュージカル映画なので)掃除をする場面があるのだけど、ゴキブリが大量に出てきたときは勘弁して、と思いました。でも欲がなく屈託のない世間知らずなシーザーを見ていると、世間とズレていておかしいんだけれど、現状に満足し、小さなことに喜び、何が起きても怖がらず前に進もうとしていて、いいなと思いました。忘れていたことを再度思い出させてくれる映画でした。私は不平不満ばっかりだからな・・・。どうなったら私が満足するのか、私がわからないから困るわ。

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EARTH

2008年1月23日

今日は水曜日レディースデーとのことでEARTHを見てきました。

地球上の動物たちの命のドキュメンタリー。撮影技術を駆使してとらえた映像はまさに圧巻です。さまざまな生命が息づく地球の姿に、改めて地球をとりまく環境について考えさせるコンセプトの映画。話の中心は北極グマ、象、ザトウクジラの親子。

人間以外の動物は欲望に対しとても正直に生きています。それは生きるための欲望に対し正直なのかもしれない。相対するのであろう。食欲・性欲・睡眠欲、それに付随する行動に対し懸命です。雑念がないんです。それを私たちは映像で見て、怖い・うつくしい・素晴らしい・後世に残さなきゃなどと感じるわけです。でもはるか昔私たちも、そういう暮らしをしていたはず。今でも世界中のどこかに、そういうふうに暮らしている人々がいるかもしれません。太古の昔の人間の行動や雑念のない動物の行動を残さなくちゃと考えるなら、人間の文明の進化とはいったい何だろうかと思うのです。進化する必要がはたしてあったのかと考えるわけです。

このまま温暖化が進めば2030年には北極グマが絶滅してしまうとナレーションがあったが、生きるためには北極グマが進化するだろう。生きるためには進化が必要なんだから。

だが人間は人間が進化したことによって犯してしまった環境の影響に対し、ほかの動物たちの進化に対応しきれないのではないかと恐怖心を抱いているのではないだろうか。どういう行動に出るのか、わからないから怖いのだ。だから改めて地球環境に対し考えなければならないとなるのだろう。予測ができないから怖いだけ。北極の氷が全部溶けたら海面上昇が何メートルで・・・などと、浅はかな知識でもって恐怖心をあおっている。

地球だけではなく他の惑星も隕石による衝突などという歴史を持っているはず。それはいたしかたないものとして、受け入れてきたはず。逃げようがないからだ。それは運命、そうなってしかるべきことだったのである。今の地球環境も運命ではないだろうか。いたしかたないものとして受け入れたあと、この現代が太古の昔と呼ばれるようになったころ、今大騒ぎしている問題は、ちっぽけなものとなるに違いない。

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ユリイカ

2008年1月21日

先週時間があったので録画してあったのを見ました。217分という長い映画だ。

九州の田舎町で起こったバスジャック事件に遭遇し、生き残った運転手の沢井と中学生・直樹と小学生・梢の兄妹。3人は乗客が次々と射殺され、自らも殺される寸前にまでなった凄惨な現場を体験し心に深い傷を負ってしまう。2年後、事件直後、妻を置いて消息を絶っていた沢井は再びこの町に戻ってきた。同じころ、周辺では通り魔の犯行と思われる連続殺人事件が発生し、次第に疑惑の目が沢井にも向けられるようになる。兄妹が今も二人だけで学校にも行かず家に閉じこもっていることを知った沢井は、突然兄妹の家に行き、そこで奇妙な共同生活を始める。しばらくして、同じような体験をしたという兄妹の従兄・秋彦もやってくる。やがて、沢井の提案で4人は沢井の運転するバスに乗り、あて所のない旅に出るのだった……。心に深い傷を負った人々の、崩壊と癒しそして再生への旅をゆったりとした時間の流れで真摯に見据えたドラマ。

ユリイカとはuereka(ユーレカ)でわかった、しめたという意味。沢井・兄妹が再生への道を見つけるまでが、超長い。特別なことが何もない日々の日常を、長回しで撮影されていて、眠くなって寝てしまいました。でも途中寝ていても、ちゃんとストーリーにはついていけます。私には合わない映画です。飽きちゃった。

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武士の一分

2008年1月20日

去年の12月末にテレビで放映された「武士の一分」を録画したものを見ました。水戸黄門みたいに内容がわかっていても見てしまう、そんな映画。

内容は毒見役である三村こと木村拓也が食べた貝によって視力を失う。これからの生活に困った加世こと壇れいが島田こと坂東三津五郎に頼みに行ったが、ただでは言うことを聞いてくれる相手ではなかった。これを知った三村が島田を呼び出し果しあいをし、島田を破り三村と加世はつつましい生活をすることになった。

前半の部分をもう少し短くし、木部こと緒方拳との手合わせをお願いした場面が、もう少し長く重かったらよかったなと感じた。主演する木村拓也に演技力がないのだから、脇を固める実力のある俳優に時間を割かないと、とても軽い映画になってしまう。軽い映画になってしまっていたのだけど。実に残念だ。でも壇れいの動作や話し言葉の奥ゆかしいこと。このような女性になりたいものだと思いつつ、絶対なれないことを確信しました。

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ARI-アリ

2008年1月14日

ARI-アリをDVDで見た。2001年にアメリカで公開された映画だから7年前、撮影も含めると8年くらい前になるのか…ウイル・スミスが若くてかわいい。私はボクシングはあまり好きではない。でもガリガリに痩せた人が目のあたりがお岩さんのように腫れて、すごいご面相になっているのをニュースなどで見るけど、ウイル・スミス演じるアリはそこまで身体を絞ってない。時代は1964年22歳のカシアス・クレイが世界ヘビー級チャンピオンになって黒人イスラム教団体ネイション・オブ・イスラムに入信、モハメド・アリに改名するところから話は始まる。モハメド・アリの相手を挑発し、気分を害すような言動が日本人の私には受け入れがたい。自らの信条からべトナム戦争への徴兵を拒否してアメリカ国家への反逆罪で起訴され、チャンピオンの地位を剥奪され試合に出場することさえ禁止。アリに好意を持つスポーツ・ジャーナリストのハワード・コーセルは政治的な発言を控えるよう彼に忠告するが、アリは自分の信念を曲げなかった。上訴を待つこと3年半。やがて最高裁が無罪判決を出し、アリはジョー・フレイザー戦で復帰を果たす。しかし判定負け。が、フレイザーを倒したジョージ・フォアマンと対戦し、奇跡的な勝利をおさめ、見事タイトルを奪還するのだった。黒人差別とベトナム戦争の背景なくしては語れないドラマだ。あまり好きな映画ではないが、見ておくべき映画だろうと思った。

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椿三十朗

2008年1月12日

今日はしとしとと冷たい雨が一日降っていた。湿気のないカラカラ天気が続いていたから、たまにはいいんだけどね。外出したくなかったので、以前に借りていた黒澤明監督の椿三十朗を見た。

あらすじ・・・真夜中の森の中。朽ちた社殿に人目を避けるように若侍たちが集まり密談をしている。一人の若者が仲間に語りかける。「次席家老の汚職を城代家老の睦田に告げたが意見書を破られ相手にされなかった」。失望の色を浮かべる青年たち。だが「大目付の菊井に話してみると『共に立とう』と答えてくれた」と続けると一転して場は喜びに沸く。この脳天気に気勢を上げる若者たちの前に奥の部屋からアクビをしながら流れ者の浪人・椿三十郎(三船敏郎)が現れる。謀議を聞かれたと緊張する一同にどこ吹く風の三十郎はニヤニヤしながら「岡目八目、菊井のほうこそ危ない」と独りごちる。やはり菊井は悪者の仲間であり、その手勢に社殿が取り囲まれるも三十郎の機転により若者たちは虎口を脱する。自分たちの甘さを後悔する一同だが、あくまで信念を曲げず命がけで巨悪にたち向かおうとする。頭の固い連中に一旦は匙を投げた三十郎だが「死ぬも生きるも九人一緒だ」の悲壮の声を聞くと思わず「十人だっ。お前たちはどうもあぶなっかしくていけねえ」と怒鳴りあげ修羅場に乗り込むこととなる・・・。

攻守のかけひきに見る緊張感や迫力満点の惨殺シーンもいいが、九人の若侍、陸田夫人や千鳥のほんわかシーンで三十朗が苦笑いしているシーンがたまらなく良い。見てる途中で笑ってしまった。私は好きだな、この映画。

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ヒトラー 最期の12日間

2007年12月19日

残虐なシーンはさほどなかったが、ひどくショックを受けた。

ドイツが陥落するのがわかっているはずなのに、かたくなに徹底抗戦を指示するヒトラー。地下の要塞で顔を真っ赤にしながら部下に指示をする、あるいは怒鳴るヒトラーの姿が虚しい。彼の周りにいる秘書のトラウドゥル・ユンゲや他の人たちも敗北するのがわかっていて、その不安・絶望・恐怖に絶えられず酒に溺れたり、パーティーをして不自然にはしゃいでいた。全く哀れな姿である。

この映画の特徴は、これは実話だということ。ヒトラーの最期の12日間で何人もの人々が生きるにせよ死ぬにせよ犠牲となった事実が、淡々と描かれていく。この事実が私の心に深く突き刺していく。確かに155分は長いが、悲劇を辿るしかない人々の姿をしっかりと見てほしい。最期に老いたトラウドゥル・ユンゲ本人の「若いことは理由にはならない、しっかりと目を見開いていれば・・・」という言葉が、更に私の心に深く突き刺す。

見ておくべき映画だと思った。

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東京物語

2007年12月2日

黒沢明監督の椿三十朗を借りにTSUTAYAに行ったら借りられていたので、ずーっと気になっていた小津安二郎監督の東京物語を借りた。なぜ気になっていながらずーっと見なかったかというと、話のテンポが遅そうでかったるかった。でも名作といわれるものは1度は見ておくべきだとこの映画を見て思った。話の内容は尾道に暮らす老夫婦が東京にいる子供たちに会いに行く。だが子供たちにはあまり温かく接してもらえず、それでも満足した表情で尾道に帰るのだが・・・。それぞれの家族や心情を丁寧に描いていて、落ち着いている。

笠智衆の背中の丸み、目の動き、畳を歩く足、立つしぐさ、間のとりかたなどが4年前に亡くなった父親を思い出させる。涙が出た。

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ALWAYS続三丁目の夕日

2007年11月11日

昭和30年代の都内にはまだあんなに広い空があったのかと、前回の映画でも感じたが今回もまた感じた。私は40年代後半の生まれのためビルの間の狭い空しか知らない。”凧揚げは電線のない広いところで揚げましょう”と年末年始に東京電力のCMが流れる度、”そんなところどこにあるのよ”と思っていたくらいだ。地面は全て土、電信柱はまだ木製、空き地があって錆びた車が無造作に置いてあって、都内では見たことがないけれど蔵王にあった祖父母の家の周辺を思い出して懐かしい。

前回は六ちゃん・淳之介・茶川さんとヒロミにスポットが宛てられていて、それぞれの思いやりと優しさの心情・情感が深く描かれていて良かったのに、今回はそれに加え多くの人にもスポットが宛てられて、少し散漫になっていて心情・情感が薄かったのが残念だ。でも芥川賞を目標にして書いた茶川さんの小説の一文が泣けた。それはヒロミへのラブレターなのだが。ヒロミが乗った神戸行きの電車が肌色だったのを見て、私が小学校の時蔵王に行くときに乗った電車も肌色だったことを久しぶりに思い出した。

映画の中の実際にあったであろう懐かしい風景と、こうであったらいいなと思う思いやりと優しさの心情・情感が昭和30年代はこうであったと間違った形で私たちの記憶のインプットされてしまう。これはあくまで映画でありフィクションである。私がこう考えた理由は昭和30年代に生まれた人は現在40代で多くの人には子供がいる。実際に昭和30年代にあのような思いやりと優しさの心情・情感があったなら、今の子供の凶悪犯罪は生まれていないと思うからである。その思いやりと優しさの心情・情感は自然と子供に受け継がれていくと考えるからである。また30~40年後に現在を振り返り昔は良かったという時代がくるのかな・・・。

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